かれおの日記

食べて寝て本読んだら、だいたい幸せ

大人は何を勉強すればいいか? 非認知能力(生き抜く力)

子供の頃は時間割があった。国語、算数、理科…。
世の中の仕組みを知るためだったんですね。

大人の勉強は、非認知能力(生き抜く力)です!!

大人の勉強は、一生かけて。

中間テストも期末テストも自分でやらなくては。
下記17個もあるのですが、私は特に◆コミュニケーション力、◆自己肯定感をUPさせたいと思います。

 

◆問題解決力   論理的思考力。問題を発見、解決策を立案、それを遂行する力
◆批判的思考力  論理的思考力。クリティカル・シンキング。俯瞰的な視点で考える力

◆協働力     助け合い、譲り合い、尊重しながら目標達成する力
◆コミュニケーション力  自分の意志を伝え、他者のそれを受け入れ、信頼関係を築く
◆主体性     自分の意思や判断によって、責任を持って行動する姿勢、遂行する意欲
◆自己管理能力  自分を律し、管理し、自己分析する力
自己肯定感   自分のあり方を積極的に評価できる、自分の価値や存在を肯定できる感覚

◆実行力
◆統率力
◆創造性
◆探究心
◆共感性
道徳心
◆倫理観
規範意識
◆公共性
◆独自性

※「非認知能力について  一般財団法人 日本生涯学習総合研究所 」より
http://krs.bz/katsumaweb/c?c=140099&m=30101&v=d4499787

私とは何か「個人」から「分人」へ (平野啓一郎)

「本当の自分」など、いないのでは?

「本当の自分」
「ありのままの自分」
って、どこにいるのだろう?

相手や、自分の機嫌や、場所により、全然違う私だし。

この本の中では、
対人関係ごとに違う複数の自分は、全て「本当の自分」だと言ってる。
皆、いくつもの「仮面」をつけている。
その中の、一番しっくりくる「仮面」を本当の自分にすると決め、大きくしていけばいい。
それを「本当の自分」にすればいい、と。

頭に来てもアホとは戦うな 賢者の反撃編(田村耕太郎)

まずは『頭に来てもアホとは戦うな』の復習から。

・アホは暇
・アホは足を引っ張る
・アホは論破しても理解しないので、何度でも挑んでくる
・アホはどんな姑息な手でも使えるので、勝てない

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賢者の反撃編でも、繰り返し書かれていること。
〜アホとの戦いは無駄な消耗戦である〜
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アホと戦うエネルギーはがあるなら、
自分と向き合い自分を見つめることに充てて、
人生の目的を見出し、それに邁進する。

物事は主観的な捉え方が全て。人生には理不尽なことしかない、と腹を括る。
勧善懲悪を人生に期待してはいけない。

どんな偉人でも大帝国でも、直線的な成功も失敗もない。
あるのは永遠のアップダウン。
「絶好調は終わりの始まり」「苦難は成功の始まり」。
人生、どんな時も常に途中経過である。


☆アホの標的になる人=自信なさげな人
☆アホが怖がる人=人生の辛酸を舐めて、それを乗り切ったような静かなオーラ持つ人

☆人付き合い=

 表面上は友好的に、しかし無駄に利用されない
 余計なこと言わない。キレたら終わり。力まずリラックス。
 戦わないが、なめられない。プラス「やるときはやるよ」という姿勢を見せておく

☆敵を作るもの愚かなこと=

 関心を持たれず、オーラ消す。年下にも敬語で接する
 人とは漠然と「仲良くする」のでなく「リスペクト」「親切」「楽しむ」と心がける

☆怒るのも、時間とエネルギーの無駄=
 復讐心を持たれたりすると、膨大な時間の無駄
 人生に最も大切なのは時間だ!!時間は平等だし、お金で買えない。
 日本人はアポの時間は非常に気にするのに、時間の使い方はルーズ

 

 

二人の嘘(一雫ライオン)

貧乏と裕福の両方を経験する人がいる。
女性判事の礼子は、貧しい環境に生きたが、成功し、裕福な家に嫁いだ。

自分のことを「マージナルマンーー境界人」と感じている。
(二つ以上の異なる社会や集団に属し両方の影響を受けながらも、結局そのいずれかにも完全には所属することができない者。境界にいる人)

「上級国民」から「底辺」に落ちる人もいる。底辺から上の世界に行ったとしても、文化の違いに苦しむ。積み重ねてきたものの、あまりの違いに苦しむ。礼子は、貧しい環境を生きるために凍結していた本能を静かに取り戻し、成功した裕福な世界から去っていった。

結局、高級外車や豪邸や高級な白いソファーがあっても、幸せじゃなかった。

「勇気」の科学 一歩踏み出すための集中講義(ロバート•ビスワス=ディーナー)

 

  • 勇気はある状況では効果的だが、性急な行動は悪い結果を招く
  • 臆病すぎず大胆すぎず生きる
勇気には二つの主要な要素がある。
「行動意志」と「恐怖のコントロール」。

勇気とは危険、不確実性、恐怖があるにも関わらず、同義的で価値ある目的に向かっていく「行動意思」。「行動意思」と「恐怖のコントロール」は必ずしもシーソーではない。恐怖が大きくても強い行動意思を持つ人もいる。

アリストテレスは、勇気を中庸としてとらえた。勇気を高い理想としながらも、それは賢く実践しなければならないと考えた。人は勇敢でなければならないが、同時にそれは適度なものでなければならない。 つまり勇気はある状況では効果的だが、性急な行動は悪い結果を招きいれる。

人が近づくと臆病なカモはすぐ逃げる。最初に逃げた臆病なカモは食料を得るチャンスを失う。最後まで残っていた大胆なカモは、命を危険に晒した。長い目で見れば、生き残るのは臆病すぎず大胆すぎず二番目に逃げた大半のカモ

 

  • 怒りによって行動しようとする時は、自分にとって本当に大切な価値観を侵害されたかどうか

怒りの感情によって、自らの能力についての疑いや、自分の身を守るかどうかという不安を乗り越え、強い気持ちで即座に行動するよう駆り立てられる。

怒りは、勇気と密接な関係を持つ感情。血が滾るような怒りを感じることで、人間は目の前の困難と対決する準備を整える。良好な人間関係や気持ちの上では良いものではない。しかし、ある局面においては幸福感よりも効果的な感情。


ただし、勇気を高めるための手段として、怒りを使うことにはデメリットもある。怒りによって私たちは冷静に行動しにくくなる。そのため、怒りに突き動かされた人の行動は、適切なアプローチから外れたものになる。 怒りが自分自身に向けられた場合、自分を責め自分を罰することになる。 さらに怒りが外に向けられる場合、対立し周りから遠ざけられる。

強い怒りの感情によって、勇気を引き上げることを考える上で大切なポイントは、自分が大切にしている価値観を基準にすること。 自分の基本的な原則が踏みにじられていると感じる時、怒りを増大させる。 怒りを感じそれによって行動しようとするときは、自分にとって本当に大切な価値観を侵害されたものであるかどうかに注目する。

 

  • 勇気指数をあげるには、幸運と自信の好循環

達成動機とは、困難な状況においても成功を強く願う意欲。達成動機が低い人は、簡単に出来ることだけに取り組もうとし、自信のあるエリアに止まる。 運を確かなものだとみなすと、自信が深まり、ポジティブな結果が得られるという確信が高まる。その結果、行動意思が強まり、勇気指数を上げることができる。

それには、

1.自分は幸運な人間であると言い聞かせる。 その成功の一部は幸運がもたらしてくれたもの、と考える。これにより「現実世界の成功」という確かな証拠をもとに、運が存在するという考えを強化する。

2.運を記録する。 幸運な出来事とその程度を記録する。不運は記録しない

また、勇気とは多くの場合、他者のためのもの。 他者を助けられると考えると、勇気指数を高められる。

  • 防衛的悲観主義を繰り返すと、勇気を出す習慣がなくなる

私たち現代人は、人生は思いのままにコントロールできるはずだという考えを抱いている。その結果、失敗をあってはならないものと捉え、できる限りそれに抗おうとする。

しかし多く現代人に見られる、老いることへの抵抗と同じく、それは負けることが保証された戦い。 人は失敗した時の言い訳になるようなハンデキャップをあえて自分に与えようとする。 寝不足だったという言い訳をするために実際に徹夜したりする。

防衛的悲観主義は、将来の期待を低く設定し失敗に備えようとする。 どうせダメだろうと思い、事前に予測しておく事によって、実際に失敗した時のショックを和らげようとする。見込みを低くしておくことで、成功した時に大きな喜びを手に入れようとしている。 この防衛的悲観主義は、勇気を高めるという点では最悪のアプローチ。消極的になり、勇気に求められる情熱で自動的な反応が取りにくくなる。

 

  • 目標を諦めても価値に注目することで、前に進む勇気を得られる

諦める言葉は、二つに分けられる。

一つは努力を諦めることと、もう一つは目標を諦めること。

例えば、カヤックを作るという目標で得ようとしていたのは、「何か手作りをしたい」「職人的に学んでみたい」という欲求を満たすことだった。

これを明らかにすることで、目標を諦める代わりに、別の方法でこれらの価値を満たそうとすることができる。カヤックは大きすぎる目標だった。だったら、陶器づくりに替えようとか。


目標を諦めるという考えは、私たちを恐れさせる。しかし最も大切な価値に注目することで、それを満たす方法が他にもあることを理解できる。それまでの目標を諦めることによる精神的な打撃を和らげ、新たな目標に向かって前に進む勇気を高めることができる。

気乗りしない目標に向かって力なく進もうとするよりも、それまでの目標を諦めるという失敗を積極的に行い、代わりに新たな目標によって同じ価値を目指す。

 

  • 失敗に対する捉え方を変えれば、勇気ある行動がとれる

人前でのスピーチやプレゼンの前には、私たちの多くが強い不安を感じる。 これについての実験。

最初のグループには、絶対にミスをしないようにと指示する

2番目のグループには、意図的にミスを無視する、ただしミスをしても問題なく安心するように指示

3番目には意図的にミスをこと、逆にそのミスを活かしてプレゼンを効果的にすることを指示する。

 

上手くいったのは、あえて失敗をした3番目のグループ。 

ミスは許容するだけでは不十分で、創造性や自発性の源となると捉える。ただしあくまでも小さなミスに対して。 大事な場面ではあえてミスをするというアプローチは使わない。


望み通りのことを実現できないのは、人生では当たり前。
しかし、何かが不十分であるという感覚を持つことは、大きな心理的痛になる。失敗を、目標に到達するために不可避的に遭遇するものだと捉え直すことで、特に行動意思が強まり、勇気指数を高める。

 

目標への道のりが、まっすぐで平坦なものであることは滅多にない。そして小さなミスや逆境が、むしろ軌道修正のために必要なものだということは、誰もが知っている。失敗への不安を取り除くことは、失敗を取り除くことではない。 人生から失敗を排除することは不可能。しかし失敗することへの不安は、減らすことができる。それによって勇気ある行動を取りやすくなる。

あなたはあなたが使っている言葉でできている(ゲイリー・ジョン・ビショップ)

  • 思考は行動を通じて、はじめて人生になってゆく

思考をコントロールすれば、どんな気持ちになるかをコントロールきる。そして思考をコントロールするには、使う言葉を意識すればいい。 最初の一歩は、自分のためになる喋り方を意識する。

思考は行動を通じてはじめて人生になってゆく。恐怖を克服したいなら家でじっと考えるだけではいけない。外へ出て忙しく過ごさなくてはならない。

反芻思考を振り切って動き出すと悩んでいたことを忘れていく。外へ出て動き始め、道の途中のネガティブなものを全て受け入れよう。そういうものだ。自分とは思考ではなくて行動だ。

ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 (レイチェル・ジョイス)

  • 受け取ることは、与えることと同じように贈り物なのだ。なぜなら、受け取ることも与えることも、共に勇気と謙虚さの両方を必要とするから

ハロルド・フライは、親からの愛情を受けられなかった(今で言う、毒親育ち)。彼は父親になったが、息子への接し方もぎこちない。息子は優秀だが人生に挫折し、悲しい出来事が起こる。妻は絶望、彼に辛くあたり、夫婦仲は冷え切ってる。という問題を抱えていた。ある日、ふとしたきっかけから何日間も歩くことになった。この「巡礼の旅」が、彼を、まわりを変える。

なぜ彼の人生が変わったのか?
私はこう思った。

歩いてる間、時間がありすぎて深く考えることとなった
相手(妻)の視点でも考えてみた
余計なもの捨てて歩いた
人の助けを受け入れられた
彼は行動した、何かを学んだ、何かを捨てた、何かを受け入れた